永上裕之のネタ帳

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それは、本当に「個性」なのか?

最近、「個性」や「オリジナリティ」という言葉の意味を考えています。

私の大好きな本で、

個性を捨てろ! 型にはまれ! (だいわ文庫)

という、一般的な世の中の流れに逆行していると言われそうな本があります。この本の思想はかなり好きなのですが、やっと最近自分なりに「個性とはなにか」ということが少しずつ言語化できてきました。

私にとっての「個性」とは?

私が学生時代のときの話なのですが、18歳で東京に出てきて、約10年前なのですが当時、「HPを作れる」というのは学生の間では非常に貴重なスキルでした。もともと、中学生時代からHPを作っていた私は、ある程度ならデザインができ、HTMLも組め、知り合いから「HPを作って!」と言われると、ちょっと鼻高々な気分だったんだと思います。

そして、専門学校生だったので、私は19歳でweb制作会社に就職しました。その会社では、営業職として働かせてもらったのですが、実は最初の1ヶ月間だけは「デザイナー」として働いていました。

最初入社したときは、「デザインやりたいです!僕、デザイン出来ます!!」と意気込んでいたのですが、入社し、周りのデザイナーの方の仕事を見てすぐに、

「僕がやっていたことは、学生のコミュニティにおいては貴重なスキルだったかもしれないけど、新卒で、まったくデザイン経験がない人であっても、3ヶ月ぐらいで到着できる程度のスキルだったんだ…」

と、強く実感しました。つまり、19歳までの人生で、片手間にやっていたデザインスキルなんていうのは、学生や、そういった業種に遠いコミュニティにおいては、貴重であっても、世の中全体では代替性のある(他の人でも出来る)ものであったんだ。と気付かされました。

9年働いても未だに、ほとんど代替性のない業務

そんな最初の気付きを経て、9年ぐらいプロ(大人)の世界で働いてきましたが、大雑把にいうと未だに代替性のないスキルの取得や人物になることはほど遠いな。と思わされます。

例えば、「起業すること」も資本金が1,000万円必要だった時代と違い、今の世の中においては、特殊スキルでなく代替性のある(他の人でも出来る)ことなのかなと思います。また、「”○○さんだから”ファイナンスができた」、「”○○さんがいなくなった”もうこの仕事は終わりだ」という話はよくあります。これも、考え方次第なのですが、私は、限定されたコミュニティにおいて代替性がない。という話で、私が、学生時代にHPを作れる!と言ったら、学生のコミュニティ内でのみ「神だ!!」となっている現象と同じなのかなと思いました。

代替性のないスキルを持っている人や人物(タレント的な意味)はほぼ皆無

例えば、学生時代「○○君は天才。本当に努力も才能もあって、絶対に我々は真似できない。」と言われていた人が、就職をしたら同期の中で営業成績が中間であったり、数値化ができない業種でもずば抜けた結果を残せなかった人は周りでも多くいます。

ただこれはある意味で、受験勉強や部活と同じで、小さいコミュニィ(学校)において1位であるとそこに壁を作ってしまいますが、自分が大きなコミュニティ(全国)にでた時にもっともっと上がいることを知ると壁を突き破れるという感覚というのはあると思います。

これはビジネスにおいても同じで、大きなコミュニティにおいての立ち位置を意識することで、「今の自分はもっともっとスキルを習得していかないといけない」ということと、「世の中のあらゆる作業は、特殊スキルでないため、苦手意識を持たずもっと気軽にチャレンジしていくべき」という意識になれるのかなと思っています。

 

なぜこのことを書いたかというと、昔、したり顔で「○○できるんですよー!」と言っていたことに対して、さらに成長をしたときは、自分よりももっと同じことを出来る人と知り合った時でした。そして、最近は、私の年齢も上がり、お会いさせていただく方、それぞれの方のスキルが本当に高く、本当に刺激的です。

最近これが、「10年前の自分に会ったら何をいいますか?」の答えな気がして、ぜひ共有したいなと思いエントリーを書きました。ぜひ、参考にしてもらえれば幸いです!