世の中に流布している「スタートアップ」のイメージは「ホームラン狙い ✖︎ イノベーティブな事業」に限定される!?
私が起業したのが2010年4月なので、あと1か月で6年間も経営をしてきたことになります。
6年間というと小学校を卒業するぐらいの期間なので、やっと最近になり、私自身の中での「こういう会社を作りたい!」「こういうサービスを提供したい!」というような判断指針みたいなものの骨格がある程度固まってきました。
そういった「経営哲学」的なものが確立してくると、他の人と議論をする際にも高度な分類ができると思っていまして、自分の経営哲学を言語化できないと、他の人と接しても、
好きな人 or 嫌いな人
という1次元的な単純な分類になってしまいますが、自分の価値観を言語化できるようになってくると、
という2次元的な分類ができるようになってくるのかなと思います。
ここでポイントとなるのが、2次元に分類することで「好きな人だけど、経営哲学が一致しない人」(3)の存在を受け入れれることなのかなと思っています。
これは別に仕事に限ったことじゃないと思いますが、「人としての相性」と「価値観の相違」を分離して考えることは大事だといわれています。
ただ私の場合、この半年間で「ここまで経営に関する価値観(経営哲学)というのが、千差万別なのか!」と気付けたのは非常に大きかったです。それにより、
「この人は、この項目において価値観の相違があるので、この話のこの部分が噛み合わないのか」
という「考え方の分かれ目」を見つけることができることで、議論がスムーズに進んでいく実感は非常にあります。
その考え方の分かれ目さえわかれば、「○○さんは、××に対して△△という考え方だから、そういう結論になると思うんだけど、私は××に対して●●な考えだから、こういう結論になるのかなと思っています。」という建設的な議論ができるのかなと思っています。
そうすると、結果の瑣末な議論でなく、その前提となる「△△」と「●●」にあたる「価値観の部分(経営哲学)」の共有ができるため、お互いの理解も深まり、「その結果に至った理由」が理解でき、終着点も見つけやすくなるのかなと思っています。
「スタートアップ」のイメージというものは、価値観のすり合わせの重要なポイントとなる
前提として、価値観や経営哲学といったものが全て一致している組織というのはありえないですし、むしろ、価値観の相違というのは違う視点からの「気づき」がありますので、むしろ大事なことだと思っています。
その上で、「経営に関する価値観の相違に関する、あるあるネタ」としてよく散見されるネタとして「スタートアップの定義」のネタがあると思います。
論点としては、総括すると、
A: 「ホームラン狙い ✖︎ イノベーティブな事業」スタイルの組織のみがスタートアップの成功スタイルであるという考え方
B: 「ヒット狙い(ホームランだけを狙うリスクスタイルはとらない) ✖︎ ある程度一般的認知度が高いビジネスモデル」でもスタートアップとして成功できるという考え方
という、非常にシンプルにこの2項対立なのかなと思っています。
「ホームラン狙い ✖︎ イノベーティブな事業」という事業は、時価総額が高くつきやすく、資金調達や、大手企業への売却の事例も多いため、「スタートアップ」であるということは納得感が高いと思います。
ここまでは、ほぼ意見は一致するのですが、それ以外のスタイルとして、「ヒット狙い(ホームランだけを狙うリスクスタイルはとらない) ✖︎ ある程度一般的認知度が高いビジネスモデル」という経営スタイルに対しての評価が分かれる、というのが面白いな。と思っています。
AとBの人の考え方の根底部分について
この議論を、冒頭に書いた「経営哲学」に照らし合わせて考え見ますと、「A」の立場の人が、リスクをとる理由として、ここ1週間でぐあーーっと見たブログやtwitterなどの内容を要約しますと、
・特にリスクを考えているわけでなく、やりたいサービスがホームラン狙いなサービスであった
・どうせサービスをやるならば、リスクをおかしてでも、やりたいこと(サービスの内容や、社会的な影響力など)に最短距離を進みたい
・(すでにエクイティによる調達をしており)ベンチャーキャピタルへのリターンから逆算した最適解だから
>参考
・エクイティによる資金調達(IPO前も後も)がしやすいため
という風に、「A」の立場の人にも、各々の理由が存在するのおかなと思っています。
ただ、ここでポイントとなるのが、手段と目的の話で、「他の人にどのようなアドバイスをするか」というタイミングで、その人の価値観が「ぐわぁっ」と、顕在化するなと思っています。
・特にリスクを考えているわけでなく、やりたいサービスがホームラン狙いなサービスであった
という考え方は、「自分のやりたいこと = 自分の目的」だから、目的先行型なのですが、そうでなく、他の人の会社に対しても、
A: 「ホームラン狙い ✖︎ イノベーティブな事業」スタイルの組織のみがスタートアップの成功スタイルであるという考え方
という考え方を提案する人の場合というのは、「目的でなく、手段先行型」になってしまっているのかなと思っています。(ただ、今回は割愛しますが「社長 = 100%株主」であればシンプルなのですが、株主兼役員が複数人で経営しているケースの場合、「会社としてやりたいこと」の定義自体が難しいという話はありそうですね。)
ただ、そういうことをSNSで主張されている人たちのブログやtwitterなどを、読み込んでみたのですが、これは私なりの見解ないのですが、なぜ他の人の会社にもそのような、「手段先行型」のアドバイスをするかというと、
a: 「自身(または、近しい人が関わっている会社)が、その方法により資金調達に成功をしたため、その資金調達をするまでの”自分なりの成功のフレームワーク”をほかの人にも伝えたい。」
b: 「起業するというのは、そのようなリスクをとって行うものである。という思いが信仰のレベルまで昇華している場合」(範馬刃牙の19巻のジャック・ハンマー的な)
というパターンがあるのかな、推測してみました。
この「b」の「●●といえば、絶対的に××である」という風に「信仰レベルまで昇華する」という現象というのは、HUNTER×HUNTERの「イルミの針がキルアに刺さっていた」現象と呼んでいるのですが、この価値観が形成された瞬間(針が刺さった瞬間)をさかのぼって考えてみるというのは面白いですね。
ただ、「針が刺さった瞬間」に気づいたからと言って補正すべきかは難しい問題だな。と最近思っていまして、もちろん、「意味なく選択肢を狭めている。」ということであれば補正をすべきかと思いますが、コンサルタントの方であれば色々な会社においてフラットに判断をできるようになるべきかと思いますが、他の人にアドバイスすることが仕事ではない場合は、自分の会社においては、「何も疑わず、●●を選択し続けれる信念」の方がいい結果につながることもあるのかなと思っています。
そのため、自分に対しての対応としては難しいのですが、他の人との議論において価値観の相違がある場合は、このようなケースがきっかけで起こっているということもあるのかなーとか色々考えています。
かなり長くなってしまったのですが、気が向いたらご意見いただけると嬉しいです!(笑)