永上裕之のネタ帳

「メンズファッションプラス」、「非モテ+」と言うサイトを運営しています。日々、奮闘して頑張っております!

「日々の選択」を行う際の『選択基準』はどうやって形成されていますか?

毎日、RSSリーダー、facebook、NewsPicksなどを通してビジネスやアパレル、SNS(コミュニケーション)関連のエントリーを中心に見ていますが、昔と違いfacebookの登場のおかげで、

「ニュース記事」 + 「○○さんのコメント」

という形で見る機会が増えてきました。

数日前にも、いつものように記事を見ていたのですが、一抹の不安がよぎりまして、メモ的に残していたのですが、ちょっと私なりにその時に感じた不安をまとめてみます。

人は毎日、「小さな選択」をして生きているという話

blog.livedoor.jp

など定期的に読み返していますが、記事にもあるスティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ることで「悩む」という行為を1回減らしていて、そういう積み重ねが非常に重要という話です。

ですので、私は、人生における「大きな決断」というものも当然大事ですが、日々の小さな選択の積み重ねが未来を創ると思っています。

そして、当然、こういう選択というのは日常生活だけでなく仕事上もそういった「小さな選択」の延長線上に「大きな選択」があると思っています。

例えば、webの現場での話でいうと、トップページのバナーを作る際のライティングを考える際でも、例えばですが、担当者の人が、

  • 売上至上主義(≒ 営業利益度外視主義)
  • 営業利益至上主義
  • バリエーション至上主義(≒ PER至上主義)
  • PV至上主義(PVがKGI主義)
  • 顧客満足度至上主義

※5つの項目は適当に並べてみました。

の、5項目のどこに重きを置いていて、どこを軽視しているかによって微妙に変わってくると思います。

そして、その延長線上に同じ価値基準を持って、「次の一手はどうする!?」や「収益モデルはどうする!?」など「大きな選択」があるのかなと思っています。

全員が「いいサービスを作りたい!」という同じゴールを目指していても、微妙に軸がぶれてくる

全員が「いいサービスを作りたい!」と言っているが議論がわかれる。というケースがあると思います。

当然、各々のサービスや施策に対するリターン(効果)の目算の差であるということも大きくあると思いますが、わかりやすい実例でいうと、

blog.livedoor.jp

にある、

言い訳しやすいのも問題です。「ユーザーが求めている情報だから出すんだ!」とか「本サービスのほうに人を流せるからいいよね」とか「はてなブックマーク数を集めることで被リンクが増えてSEOになるからいいよね」のようなことをいって自分や周りを納得させちゃうのですね。「人の工数でいうと週に2回くらい担当者がやっているくらいなので、たいした手間じゃないし、コストかかっていないからいいじゃん」とか思っているなら、さらに事態は深刻です。

というのは、まさに「判断基準」の相違により起こってしまうことなのかなと最近は考えています。

「数字のマジック」「トークのレトリック」、「ポジショントーク」などをしっかりと精査して取り入れないと危ない!?

 ということで、最近のwebは実名化が進み、冒頭に書いた「ニュース記事 + 実名コメント」を見てしまうと、「○○さんが言っているから」ということで盲目的に「○○さんが言っていることはすべて正しい!」という風に、無意識のうちに脳にインプットしてしまいがちな環境になってきているのかなと思います。

blog.egachan.net

にも書きましたが、

A:「○○さんって、大人っぽくなっちゃったよねー」
B:「○○さんって、大人っぽくなって、素敵だよねー」

という言われ方1つで潜在意識の中に、

Aだと、「大人っぽくならないように気を付けよう、、、」
Bだと、「もっと、大人っぽくなろう!」

 という1つでも『選択基準』(価値観)は形成されてしまうので、

例えば、ある会社のプレスリリースに対して、偉い人がコメントで

A:「このDL数の推移からして、このサービスの未来はアツい!!!」

B:「このサービスはDL数は重要なKPIではなく、似たようなサービスが過去に何度も失敗しているから収益モデルの見直しが必要かも?」

という言われ方1つで潜在意識の中に、

Aだと、「このサービスはイケてるんだ!こういうサービスを参考にしよう!」

Bだと、「このサービスは関係者の人はイケていると言っているが、業界歴が長い人から見ると本質的に継続性があるサービスじゃなく映るのか!参考にしよう!」

という風にコメント1つで、同じリリースに対してもインプットされる情報が180度変わってきます。

匿名時代であれば、「コメントの中身のみ」で判断できていましたが、実名時代になると投稿者の印象なども影響があります。

だからこそ、日々、色々なニュースを目にする現代においては、何かしらの「自分ルール」を設けておかないとコメントする人のリードしたい方向に「選択基準」が引っ張られてしまう危険性があるのかなと思います。

当然ですが、コメントする人も「周りを騙そう!」という風に悪意を持って発言しているのではなく、「自分の立場からはこう映るよ!」ということを、ただ発言しているだけなので、それをどのように受け取るかが、大事なのかなと思っています。

いつかこの、「こういう風な法則をもってフィルタリングをして記事とコメントをセットでみると変なバイアスがかからないよ!」という風な法則をまとめたいですねー!