【メモ】【2016年2月28日版】参考になった経営に関する記事まとめ
を以前に書いて思ったのですが、自分の価値観形成になった記事を特にテーマなく五月雨でがーーーっと書いていくと、書きやすいというのに加え、その記事を見ていただいた方などと共通の話題としても活用できますし、何より自分の考え方をアウトプットできるので自分の頭の整理になりますね。
文字を書いている段階で「あれ?これつじつまが合ってないな」とかも気づけたりして、おススメな記事の書き方かもしれないです。
ということで、あれから気になった記事をぐあーーっと紹介していきます。
ネットオタクと経営者
――サービスを自分で作るというよりは、組織を動かして大きい流れを作るほうが、かっこいいということですね。
そうじゃないかなと思いますけど。そういう意味で言うと、ちょっと前のネットのオタクみたいな人が中心の時代はもう終わったのかな。新しい時代は、やっぱり経営者じゃないですか。サイバーエージェントでもVCをやっていますが、ネットオタクの会社に投資したいとは思わないですよ。
逆に、経営者がしっかりしている会社であれば、ネット業界はどんどんチャンスが生まれる。事業内容をころころ変えても何とかなる。逆に、「一発面白いものを作りました」みたいな会社は、そのサービスがはやっても、運営しきれなかったりします。経営力が足りなかったら、どうしようもないですね。
ちなみにこれは、2013年1月の記事なので、3年以上前の記事です。
この記事に限らず、普段から数年前の記事を読み返したり、著名な経営者の方が自分と同じ歳のときに出した本などを今の自分に照らし合わせて読んだりしているのですが、結構おすすめです。
そして、この記事は3年前にもタイムリーで読んだ記憶があるのですが、当時は、ここで言われている「ネットオタク」と「経営者」の概念や存在そのものが理解できていなかったのですが、今読んでみると、歴史の流れも含めて、なるほど~。と思うことが多いです。
また、
※ただこの記事は、有料会員しか記事は見れないようです。
なども併せて見ると、さらに考察が深まるなー。と思っています。ひとくくりに「経営者」といっても、 色々タイプがあるんだなぁ。と思います。
力学について
「ベンチャー・キャピタルから、投資した資本の回収を迫られて困っています。消費者金融の借金取りより強硬です。自殺か逃亡か、もはやそんなことまで真剣に考えてしまうほど追いこまれています。お知り合いの銀行とかに助けてもらうことは、できないでしょうか」
彼の話をかいつまむと、彼のWEBビジネスはここ1年ほど、類似のサービスの登場によって伸びを欠いていた。そこにもってきて、さらに取って代わられるような新規ビジネスが登場して、俄然旗色が悪くなった。現状では上場は夢物語になりつつあり、ベンチャー・キャピタルは、事業計画の見直しも含め上場への道筋を立てられないなら、投資した資金をすぐにでも返せと迫ってきた、と言うのです。
特にベンチャーキャピタルが。とか、銀行が。という話というよりは「力学」として注目していまして、「力学」という言葉は、
の、
さらに、VC(ベンチャーキャピタル)は、ファンド期限というものがあります。要は、VCというのは、いろいろな人からお金を集めて、それをベンチャーに投資をして、10年後にリターンを返す、みたいな流れなのですね。となると、いつまでも待ってるわけにはいかない、というビジネスなのです。
そうすると、・ファンド期限が近づく
・M&Aか、IPOで、リターンを返してほしいとVCは思う
・高いバリュエーションで投資しているので、安いM&Aは嫌だという
・無理やりでもIPOをしなければいけない
・さらに高い時価総額をつけて上場しなければならない
という流れは、力学として働きます。これはVCが悪い、起業家が悪いというわけではなく、合理的に動くとこうなってしまうんですね。
※全体の文脈があるため、引用だけだと伝わりづらいのと、非常に素晴らしい文章なので全部読んでもらえると嬉しいです!
をきっかけによく使うようになったのですが、
投資したら、あとは馬券を握りしめているような感じ。自分が起業した経験もないベンチャーキャピタリストが、もっともらしく外部アドバイザーとして事業の評価とか起業のアドバイスをしているのを見ると違和感がある。
独立系VCの人でも自分が起業するようにVCを立ち上げた人は、起業家に近いのである程度は分かっていると思う。
――事業会社によるVC、コーポレート・ベンチャーキャピタル(CVC)が増えており、将来の買収案件を物色するケースも多い。
たまに大企業の投資で理解できないことがあって、投資した分だけ何か権利を得ようとしている。それは本末転倒で、投資させてもらった立場で会社を支援するべき。投資した分だけ回収しようみたいな考えは、経営を邪魔しているようなもの。よちよち歩きのベンチャーに、そうしたスタンスで臨むことは真逆の発想。契約で縛ろうとする会社もあるし、そういうスタンスでは話にならない。
や、
例えばですが、ネット上でよくみるやりとりとして、イケているベンチャーキャピタルの担当者の人が発するコメントなどに対して、
「この人(ベンチャーキャピタルの担当者の方)はなんで、自分は起業家としてゴールを果たしたような感じで、投資先の経営者やスタッフの人に対する謙虚さがなく、上から目線で語っているんだろう・・・。」
というコメントのやりとりは、もう嫌というほど見てきた気がします。
ただ例えばですが、投資事業をされてる会社さんにも上場されている会社さんは多くいますし、当然1社ごとに「時価総額」があるわけなので、そういう風に見ると、「(ある意味で)あらゆる法人は営利団体であるんだな。」と再認識させられます。
そういう意味で、「あらゆる業種の人に対して同一の評価基準が設けられている」という意味では、非常にシンプルなのかなと思っています。
ではないですが、投資事業を行っている会社も「特別な人達の組織」と「魔法の杖」扱いするのでなく、「現実的にお付き合いをする。」というようなスタンスが引用の記事の理解としてはシンプルなのかなぁ。。と考えてみました。
「日々の選択」を行う際の『選択基準』はどうやって形成されていますか?
毎日、RSSリーダー、facebook、NewsPicksなどを通してビジネスやアパレル、SNS(コミュニケーション)関連のエントリーを中心に見ていますが、昔と違いfacebookの登場のおかげで、
「ニュース記事」 + 「○○さんのコメント」
という形で見る機会が増えてきました。
数日前にも、いつものように記事を見ていたのですが、一抹の不安がよぎりまして、メモ的に残していたのですが、ちょっと私なりにその時に感じた不安をまとめてみます。
人は毎日、「小さな選択」をして生きているという話
など定期的に読み返していますが、記事にもあるスティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ることで「悩む」という行為を1回減らしていて、そういう積み重ねが非常に重要という話です。
ですので、私は、人生における「大きな決断」というものも当然大事ですが、日々の小さな選択の積み重ねが未来を創ると思っています。
そして、当然、こういう選択というのは日常生活だけでなく仕事上もそういった「小さな選択」の延長線上に「大きな選択」があると思っています。
例えば、webの現場での話でいうと、トップページのバナーを作る際のライティングを考える際でも、例えばですが、担当者の人が、
- 売上至上主義(≒ 営業利益度外視主義)
- 営業利益至上主義
- バリエーション至上主義(≒ PER至上主義)
- PV至上主義(≒ PVがKGI主義)
- 顧客満足度至上主義
※5つの項目は適当に並べてみました。
の、5項目のどこに重きを置いていて、どこを軽視しているかによって微妙に変わってくると思います。
そして、その延長線上に同じ価値基準を持って、「次の一手はどうする!?」や「収益モデルはどうする!?」など「大きな選択」があるのかなと思っています。
全員が「いいサービスを作りたい!」という同じゴールを目指していても、微妙に軸がぶれてくる
全員が「いいサービスを作りたい!」と言っているが議論がわかれる。というケースがあると思います。
当然、各々のサービスや施策に対するリターン(効果)の目算の差であるということも大きくあると思いますが、わかりやすい実例でいうと、
にある、
言い訳しやすいのも問題です。「ユーザーが求めている情報だから出すんだ!」とか「本サービスのほうに人を流せるからいいよね」とか「はてなブックマーク数を集めることで被リンクが増えてSEOになるからいいよね」のようなことをいって自分や周りを納得させちゃうのですね。「人の工数でいうと週に2回くらい担当者がやっているくらいなので、たいした手間じゃないし、コストかかっていないからいいじゃん」とか思っているなら、さらに事態は深刻です。
というのは、まさに「判断基準」の相違により起こってしまうことなのかなと最近は考えています。
「数字のマジック」「トークのレトリック」、「ポジショントーク」などをしっかりと精査して取り入れないと危ない!?
ということで、最近のwebは実名化が進み、冒頭に書いた「ニュース記事 + 実名コメント」を見てしまうと、「○○さんが言っているから」ということで盲目的に「○○さんが言っていることはすべて正しい!」という風に、無意識のうちに脳にインプットしてしまいがちな環境になってきているのかなと思います。
にも書きましたが、
A:「○○さんって、大人っぽくなっちゃったよねー」
B:「○○さんって、大人っぽくなって、素敵だよねー」
という言われ方1つで潜在意識の中に、
Aだと、「大人っぽくならないように気を付けよう、、、」
Bだと、「もっと、大人っぽくなろう!」
という1つでも『選択基準』(価値観)は形成されてしまうので、
例えば、ある会社のプレスリリースに対して、偉い人がコメントで
A:「このDL数の推移からして、このサービスの未来はアツい!!!」
B:「このサービスはDL数は重要なKPIではなく、似たようなサービスが過去に何度も失敗しているから収益モデルの見直しが必要かも?」
という言われ方1つで潜在意識の中に、
Aだと、「このサービスはイケてるんだ!こういうサービスを参考にしよう!」
Bだと、「このサービスは関係者の人はイケていると言っているが、業界歴が長い人から見ると本質的に継続性があるサービスじゃなく映るのか!参考にしよう!」
という風にコメント1つで、同じリリースに対してもインプットされる情報が180度変わってきます。
匿名時代であれば、「コメントの中身のみ」で判断できていましたが、実名時代になると投稿者の印象なども影響があります。
だからこそ、日々、色々なニュースを目にする現代においては、何かしらの「自分ルール」を設けておかないとコメントする人のリードしたい方向に「選択基準」が引っ張られてしまう危険性があるのかなと思います。
当然ですが、コメントする人も「周りを騙そう!」という風に悪意を持って発言しているのではなく、「自分の立場からはこう映るよ!」ということを、ただ発言しているだけなので、それをどのように受け取るかが、大事なのかなと思っています。
いつかこの、「こういう風な法則をもってフィルタリングをして記事とコメントをセットでみると変なバイアスがかからないよ!」という風な法則をまとめたいですねー!
【メモ】経営者の方のインタビューで、参考になった文章をピックアップしてみました。
最近、色々あって目を休めてリラックスしないとなー。と思い、1日1時間は昔から好きな、
とか、坂本龍一さんの音楽を聞いて、本やインタビュー記事を読み漁るルーティンを確立しつつあります!
今日はアウトプットとして個人的に参考になった記事をピックアップしてみます。
ピクスタの古俣大介さん
古俣さん含め、基本的にこのブログで引用させていただいている方とはまったく面識がないのですが、古俣さんの記事は非常に好きで全部読んでいます。特に面白かった記事が、
モチベーションがさらに増した
「株価」「時価総額」という数値化された指標で自社の客観的評価(様々な要因はあれど)を得ることができ、さらに他社と比較できることが自分にとって大きな刺激になることが発見でした。
もちろん現在の水準にはまったく満足していないため、結果の指標ではあるものの株価、時価総額を上げていくという新たなモチベーションの源泉を得られたことは大きな収穫だったと思います。ただ株価に振り回されるのは本末転倒なので、あくまでも業績の向上や成長を果たしたあとに結果としてついてくるものだ、という認識を持つことが大事ですね。
の部分です。
私の原動力の1つに「評価」というものは大きな役割をしていまして、記事にある通り「時価総額」というのは非常にわかりやすい指数だと思っています。
例えばですが、ネット上でよくみるやりとりとして、イケているベンチャーキャピタルの担当者の人が発するコメントなどに対して、
「この人(ベンチャーキャピタルの担当者の方)はなんで、自分は起業家としてゴールを果たしたような感じで、投資先の経営者やスタッフの人に対する謙虚さがなく、上から目線で語っているんだろう・・・。」
というコメントのやりとりは、もう嫌というほど見てきた気がします。
ただ例えばですが、投資事業をされてる会社さんにも上場されている会社さんは多くいますし、当然1社ごとに「時価総額」があるわけなので、そういう風に見ると、「(ある意味で)あらゆる法人は営利団体であるんだな。」と再認識させられます。
そういう意味で、「あらゆる業種の人に対して同一の評価基準が設けられている」という意味では、非常にシンプルなのかなと思っています。
※ただし、こちらの記事でも書いている通り、時価総額が評価の全てではないと思っていますし、バイアスがかかりすぎるのは良くないなと思っています。
古俣大介×伊藤羊一(1)仲間のおかげでモードチェンジできた | GLOBIS 知見録
古俣: 設立3年半後から突如伸びだして、そこから四半期ベースだと一度も売り上げは落ちていません。2009年3月がまさに換点で、この月の売り上げは、一気に前の月の倍以上になりました。
伊藤: そのときは「おっ、ついに来たぞ」という感じでしたか。
古俣: いえ、どちらかというと「おや?」という感じでしたね。最初は半信半疑で、半年ぐらいたってからやっと「これは軌道に乗ったということなのかな」と思いました。
伊藤: 何がきっかけで急に伸び始めたのですか。
古俣: コンテンツの品ぞろえがある一定レベルまで達したのと、検索のロジックみたいなものがうまくかみ合ったことなど、いろいろな施策がはまりだしたんです。何か1つが効いたというより、100個くらいの施策に取り組んで、そのうち5個から10個ぐらいがうまくいき、やっと方程式が成り立ったという感じです。
この成功体験談はしびれました!
その他にも、古俣さんの記事は面白いので、非常にお勧めです!
ファーストリテイリングの柳井さん
寝る間を惜しんでも、スキルをつけるには10年
学生に向けたアドバイスは独特なものだった。「人間の能力のピークは25歳だ。一生は一回しかない。みなさんいつかは確実に亡くなる。そのときまでに何が出来るか。未来に向けて何ができるか。それを考えることが起業家として成功する要因だ。世界中にチャンスがあふれている。人と違ったことをして欲しい」と語った。
ただ、学生から「圧倒的なスキルを25歳までにつけるにはどうすればいいか?」という質問が出ると、「それは無理だ」と断じた。
柳井氏は「どんな仕事でもスキルをつけるには、毎日寝る暇を惜しんでも10年ぐらいはかかる。それでも、一番早くスキルがつく方法は自分で事業をすることだ。わからないことがあれば、事業をやっている人に聞いたらいい。ただ、スキルだけつけても、少しだけ儲かって一瞬で終わるだろう。世の中に対して何がいいことかを考えることが重要だ」と返した。
この記事で感じたことは、
「やっぱり25歳がピークなのかぁ。。」
ということで、以前より考えていましたが、やはり「ストック型のノウハウ」というものは大事だなーと感じました。また、寝る間を惜しんでスキルを身につける重要性を説かれるのと同時に、
ただ、スキルだけつけても、少しだけ儲かって一瞬で終わるだろう。世の中に対して何がいいことかを考えることが重要だ
という、「スキルの限界」についても語られているのが非常に参考になりました。
サイバーエージェントの藤田晋さん
市場のポテンシャルが1000億円しかないのに、おカネは数千億円あるというイメージだ。ベンチャーキャピタルの資金が過剰に流れ込み、一部の人気ベンチャーに投資が集中している感じがある。
国内の主立ったネット企業は、変化に対応していくことの重要性をさんざん体で学んでいて、新しく有望な分野が出てきたら抜け目なく参入する。結局それが新しい会社の成長の芽を摘んでいるところはあるのかもしれない。
アメリカのように、単一事業でグローバル展開するのが常識だと、買収で取り込むことはあっても、自分たちで新規事業をやろうとは思わない。一方、日本のネット企業はコングロマリット化している。
ここら辺については、
個人的には、上記の動画などと合わせてみると、非常に勉強になると思っているのですが、個人的には
アメリカのように、単一事業でグローバル展開するのが常識
というのは私としては、ここ数年非常に注目していて、後に出てくる、
日本の場合、言語的な障壁もあり、国内で限界にぶつかる。だが、株式市場からの成長期待は米企業と同じように高い。つじつまを合わせるためには、国内の成長分野を取り込んで横展開していくことになる。
も含めなのですが、やっぱりfacebookやiphoneのような「1プロダクトでの一点集中突破」×「1人の天才がマイクロマネージメントしていく」というのが個人的には好きなスタイルだったりするのですが、その難しさが改めて言語化されているなと感じました。
またこちらの記事は、
の、色々な経営者の方のコメントも一緒に見ると、非常に経営に対する各々の価値観などが垣間見れて非常に勉強になりました。
当然ですが、「リスクがあったとしても海外進出やバズワードに関する事業に積極的な人」と、「冷静に市場を分析し、成功確率を高めていく人」でタイプが別れますが、全体のトーンとしては「海外進出は難しい。」ということでコンセンサスが取れているように感じました。
そのうえで、別の記事なのですが、2011年の健康コーポレーションの瀬戸健さんの記事なのですが、
などでは、インタビューの中で、
人を雇うのが怖くなった
※会員登録が必須のため、続きに興味ある方はぜひ会員登録をしてご覧ください。
という表現がありますが、その後についてのインタビューの回答などもみていると、経営スタイルというのは、経営者の生まれ持ったパーソナルな部分も影響は大きいですが、一方で、過去の会社でのストーリーや経験なども影響が大きいのかなー。と思いました。
そして、このインタビューも凄くいいです。
まとめ
勉強になったインタビューは溜めるようにしているのですが、こうやって考察を書いていくのは頭の体操として面白いですね。
あと、最近テーマにしているのは、
でも書いた通り、「自分の中の価値判断の中でのバイアス」に気づくことで、「自分なりの評価基準」が確立してくると、今後の人生において判断スピードが各段と上がるような気しています。
ということで、長々とすみませんでした。。<m(__)m>
「スタートアップ」と、「学生起業」「20代起業」の違いはなに?
の記事が話題になっていますね!
記事の内容というよりも、下記の文章が興味あったので引用させていただきます。
日本でスタートアップが時価総額数千億円、数兆円規模の会社を作るとなれば、株式市場を無視することなんてできないはずだ。なのに彼らのロジックにスタートアップの状況を当てはめると、たとえスタートアップコミュニティで評価されている会社ですら、ツッコミに反論ができないことがある。
本当に世界を変える挑戦をしている起業家がそんなことで批判されるのは、僕はもうなんというか、ものすごく悔しい。僕がスタートアップ(当時はそんな言葉はなかったけど)に初めて関わったのはちょうど10年前。10年前の1月といえばライブドアショックが起こったタイミングだ。そこからやっとここまでスタートアップのエコシステムもコミュニティもできてきたのだ。だからこそ、スタートアップ関係者には市場や世の中と、きっちり対話できるようになって欲しいと思っている。
ここで出てくる、「スタートアップコミュニティで評価されている会社」や「スタートアップ関係者には市場や世の中と、きっちり対話できるようになって欲しい」という概念が、「コミュニティ論」を研究している自分としては面白いなーと思いました。
「スタートアップ」と、「学生起業」や「20代起業」の違いななに?
そもそも、スタートアップとは何かを考えてみたのですが、個人的に定義するならば、
・「世の中にイノベーションを起こす」事業をやっている
・何かのフォローアップをした事業でなく、「ファーストペンギンを目指す」事業をやっている
・ファーストペンギンを目指すということは、必然的に「誰も見たことがないもののため、最初は世の中の認知度が低い事業 = 認知してもらうというフェーズからサービスの営業が始まるわけだから収益化のタイミングが遅い」ということに加え、ファーストペンギンは「先行者利益を得る」というメリットがあるため、「圧倒的なシェアNO.1」を目指す必要があるため、その時期がくるまでは利益度返しでシェアを取るという戦いが求められるため、「営業利益至上主義」より、むしろ「営業利益度返し主義」、「PER至上主義」、「売上至上主義」というスタンスが求められる
ということなのかなー。と、思っています。
ただ、一方で「学生起業」や「20代起業」など、年齢が若いうちに起業をすると、「相対的に大変だから」という理由で「スタートアップ」と言われているような気もします。
での、
勝:いや、年齢による規制ではなくて、新規ビジネスをやろうと思った場合に小規模で事業を始めようとした場合に、例えばアメリカと日本で比べて同じビジネスアイデアを持っていた場合に、どっちの方がエンジェルが集まりやすいかというと、
ひ:いや、エンジェルなんか集まるのってほとんどないですよ。日本で中小企業10万社とかありますけど、エンジェルつきましたって多分1000社も無いんじゃないですか。そんな少ない例を出してあたかも言われるとちょっとどうかなと思いますけど。
勝:じゃあ、エンジェルではなくて例えば1000万円くらいの資本で起業した場合にどうでしょう。それはもうほとんどハードル同じということですか?
ひ:1000万円持っているっていう時点でもう若者じゃないと思いますけどね。
勝:じゃあ、借り入れにしましょう。
ひ:1000万円借りれる若者なんていないですよ。
勝:そうですよね。そういう話です。だからみんなエンジェルを探したりVC(ベンチャーキャピタル)を探したりするんですよね。
ひ:いやいや、日本にある会社でVCとかエンジェルとか付く会社なんてほとんどないですよ。
勝:あとは死ぬ気で貯めますよね、小資本で数百万円とか貯めて小さな事務所を借りたりして、
ひ:普通って会社とか入って、例えばなんか会社の仕事をやって、その職種とか知り合いとか取引先を連れてって独立するとかありますけど、なんもないところで1000万集めて会社作りますとか普通って、ちょっとおかしくないですか?
という議論と近い話なのかなと思っていまして、「普通って会社とか入って、例えばなんか会社の仕事をやって、その職種とか知り合いとか取引先を連れてって独立」という流れの場合は、あまりスタートアップと言われない気がします。
ただ、こういうケースと逆の、「最初から収入源が確保されていない」場合の会社が、全て無条件でベンチャーというのかというと少し疑問に思っています。
一方で、定義が定まったとしても、それを判断するのが難しいため、例えば
「ベンチャーキャピタルから投資をされる会社 = スタートアップなイノベーションを起こすような事業、組織である」
ということが前提となれば可能かもしれないのですが、それは難しいのかなと思います。
そのため、「スタートアップか、どうかを判断する。」というのは非常に難しいのですが、冒頭にある問題解決を一歩でも進めるには、「スタートアップコミュニティ」というものの言語化や定義や企業選定について、幅広く議論が交わされていくと、それが蟻の一穴となり、冒頭で引用させていただいたような懸念の解決に少しでも進むんじゃないかなと、コミュニティ論的な観点から考えてみました。
ぜひ、皆さんが思う「スタートアップコミュニティ」の定義など教えてもらえると嬉しいです(*'▽')